• 石鳥谷の全てがここにある!?

    ドリヤでダンス

    小僧[著]

     この町には目には見えない道がある。ここに住む人々が長い年月生きてきた道。私はそれを「ドリヤの道」とひそかに呼んでいる。

     独身時代勤めていたアルバイト先で、ある常連客がこう言った。
     「オレ、石鳥谷町に住んでるの。だから、ドリヤ。石鳥谷に住んでる人のこと、ドリヤって言うの。知ってた?」

     知らないよ、と一緒に勤めていた女の子達と笑い飛ばして終わった話だが、「ドリヤ」という響きが妙に気に入って私は忘れることが出来なくなった。まさか、自分が数年後にドリヤになるとはその時、思ってもみなかった。

     四年前、夫は勤めていた福祉施設を退職し、農業を始めると決めた。生まれて四ヶ月の娘と共に盛岡市から東和町へ引越し、研修先の農家に住み込み、一年間を過ごした。他の研修生を含め十人以上の共同生活。鶏と豚の声で目覚める朝。スイッチひとつでガス、電気を自由に使える便利な暮らしから一転、薪ストーブ、薪ボイラーのお風呂、太陽光発電の暮らしに変わった。様々な人生経験を持つ研修生達との会話、夜は数時間おきの授乳が続く毎日。慣れない環境と育児に疲れ、私は自分を見失いそうだった。たまった布おむつを洗い、乳を与え、やっと何か作業をしようとすると子どもは泣く。「育児が仕事」と研修先の奥さんに慰められながらも、自分の道を仲間と語り合う夫がうらやましくて憎らしくて仕方がなかった。貴重な体験だったのにもかかわらず、恵まれた環境を楽しむ余裕を持てぬまま鬱々と日々は過ぎた。

     一年後、夫は石鳥谷町に農地を借りて「亀ノ尾」という酒米を作り始めた。石鳥谷は南部杜氏のふるさと。純米酒が好きで、酒米を作りたいという思いを叶えるために夫はこの地を選んだ。幸い、多くの方が夫の思いを支えてくださり、模索しながらも第一歩を踏み出した。農地を借りた滝田という土地は、りんご栽培の有名なところで、夫は草刈や選果のアルバイトをさせて頂きながら地域に馴染んでいった。

     当初、私は立派な「ドリヤ」になろうと焦っていた。急いで地域に認めてもらえる人間になりたかった。しかし、現実はやはり子どもの世話や引越しに次ぐ引越しにくたびれて、何も出来ないまま一日が過ぎた。苛立っては、「自分ばかり、好きなことをしてずるい。」と夫を責めた。そうしたところで何も変わらないことはわかっていたが、「母」「妻」ではない自分というものが無いことが怖かった。スカスカの自分に自信が持てず、ドリヤになるどころか人に会うことも避けるようになっていった。そんな中、山間の田んぼから目の前の戸塚森、遠くに青く見える北上山系、そして頭上を越えていく飛行機をながめる時間だけが唯一、私の心を緩ませた。広い空と眼下の景色は、「ああ、私は今この地に立っている」とおおらかな気持ちにさせてくれた。ドリヤの道はどこにあるのか。どこかに標でも見えるのではないか。滝田の風に吹かれながら一人、見えないはずの道を探していた。

     三年目の春、転機というものが訪れた。思わぬ病と雄山羊が一頭やってきた。それはほぼ同じタイミングで、鬱々とした日々の底を打つかのように突然飛び込んできた。予想もつかないことというものは、活力になることもある。「道」という漠然とした悩みは、開腹手術の痛みに耐えたり、山羊が次々と壊す繋留の金具を何度も付け替えたり、冬に食べさせる餌を心配するという、目の前の具体的なものにバタバタと塗り替えられた。毎日、山羊の糞を片付け、草を食べさせるために移動を繰り返す。山羊は何度も逃亡し、私を困らせた。金銭に代わるわけでもなく、生産性があるわけでもないその日課が、不思議と私に安心感をもたらしてくれるようになった。同類ではないけれど、なんだか山羊とはウマが合う。山羊は日々の良きパートナーとなった。

     年明け、暖冬でところどころ緑が見える山間への道を山羊と歩きながら反芻するように考えた。道とはなんだろう。誰かが歩くから道なのか、道があるから道なのか。それはきっと多様過ぎて分からない。分からないけれども私はこの先、一歩、一歩を山羊と行こう。山羊は草木を食み荒地を歩きやすい草地へ変えていく。時に、飛んだり跳ねたり、山羊は踊る。力強いひづめステップ。それに合わせ、私も自由なリズムで踊ってみよう。乱れたリズムも悪くない。不調和と調和があってこそ心は躍る。なんだか楽しくなってきた。そうか、私はきっとニュー・ドリヤ。歴史あるドリヤになろうなんて、図々しい。皆と同じ道を歩むことはない。踊ってしまえ。

     冬が終わるか終わらぬうちに、農民はまた田畑の準備を始める。自然を相手にしてきた人々の笑顔は、雲間から見える陽光のように神々しい。見えない道に優しく舞った春雪は、やがて咲くりんごの花びらに似ている。

    初出:岩手日報「みちのく随想」2016年3月20日

    小僧

    山羊を飼って暮らす、という長年の夢を石鳥谷で叶える。農民をしながら手紙を書いて売ってしまうパフォーマー。お気に入りの場所は花巻市が見下ろせる山の田んぼと稗貫川。


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