• 石鳥谷の全てがここにある!?

    石鳥谷図書館さんの企画展示の中でもかなり歴史のある『実はすごい!石鳥谷の「匠」展』
    毎回、石鳥谷地域で優れた技能を持った「匠」を取材し、関連図書と共にご紹介されています。

    この度、石鳥谷図書館さんのご協力により、コラボ企画が実現✨
    石鳥谷の匠シリーズとして、石鳥谷地域情報発信サイト DO・RI・YAへ掲載させていただけることになりました! ぜひお楽しみください。

    第42回 実はすごい!石鳥谷の「匠」展
    『南部杜氏の里で醸す、地の酒』

    石鳥谷地域は、日本三大杜氏の一つ「南部杜氏」の里として知られています。今回の石鳥谷の「匠」展では、石鳥谷で唯一の酒蔵、合資会社 川村酒造店の蔵元である川村直孝さんにお話を聞かせていただきました。

    川村酒造店は、川村酉与右衛門(よえもん)氏により大正11年(1922)に創業され、昨年創業100年の節目を迎えた酒蔵です。「南部関」や「酉与右衛門」などの銘柄を醸造しており、直孝さんは4代目としてご活躍されています。

    川村酒造店 蔵元 川村直孝さん

    ※文中の酉与右衛門の「酉与」表記について、正しくは、偏が「酉」つくりが「与」の漢字一文字になります。

    家業

     子どもの頃のことを聞くと、蔵はドキドキワクワクする秘密基地のような空間であそび場だったと笑う直孝さん。

    現在の川村酒造店

    「昔は仕込みの道具などがその辺にゴロゴロと置いてあったし、木桶なんかも外で干していたりして、独特な匂いがしていて、異空間みたいに感じていましたね」

     家業を継ぐことについては、子どもの頃から言われていて、なんとなくそういうものなのだろうと思っていたそうだ。

     直孝さんが働き始めたころ、日本酒にはアルコールや水飴(糖類)が混ざっていて美味しく思えなかったこともあり、仕事に身が入らない日々を過ごしていた。
     その後、ある人との出会いで歯車は回り始める。

    転機

     日本酒の消費量は年々減りつづけ、酒造業界全体が落ち込み、廉売(れんばい)競争が激化していった。時代に翻弄され、廃業していく酒蔵は後を絶たない。石鳥谷にあった酒蔵もその流れに飲み込まれるように無くなっていくのを直孝さんは目の当たりにしていた。

    「自分のところのような小さな酒蔵は、大手との体力勝負では到底太刀打ちできない。その流れに乗ったままではダメだろうなと思っていました」

     どうすればいいか悩んでいたとき、埼玉県にある『神亀酒造』の社長(故・小川原良征氏)と会う機会があり、この出会いが直孝さんに光明をもたらす。話の流れから西日本へ行くことになり、足を運んだ先で様々なチャレンジをする酒蔵の人たちと知り合えたことが大きかった。“売れるものではなく、良いものを造りましょうよ”と、自分たちの特色を出す蔵などを知り、徐々に道が開けてきた。

    「様々な蔵を知ることで自分の中で道筋が見えた。それがなかったらそのまま他の蔵と同じようなことをしていたのかなと思うので、そのきっかけをくれた神亀酒造の社長は恩人ですね」

     しかし良いものとはなにか、細かいところで煮詰まっていた。様々な蔵へ行っては話を聞き、気になる酒があれば全国どこへでも見学に行き、日本酒のみを取り扱う酒屋を訪ねるなどして、自分の考えをクリアにしていった。

    覚悟

     神亀酒造の社長からのアドバイスもあり、純米酒一本に舵を切ることを決めた。すぐには売上に反映されないため、“うちの店を潰す気か”と親に言われることもあった。
     本格的に蔵を引き継ぐとき、負債も含めて全て引き受けることを条件に、自分のやり方に口出ししないことを先代に約束させ、それで腹が決まったと話す直孝さん。その言葉には強い意志と覚悟がうかがえた。
     その後、酒造りの環境を整えるため、全機材の入替えに着手。しかし、一朝一夕でできるものではなく、時間も費用もかかった。

    「先代の負債も抱えている状況でしたから、“明日どうなるかわからない”なんて日が何回もありましたね」

     苦難を乗り越えながら機材を刷新し、酒造りの工程も見直し、気が付けば10年近くの年月を重ねていた。

    「ブームに乗って流行りの酒を造ったところで、ブームが終わればそれでおしまい。それに振り回されることなく、立ち位置を変えずにやっていこうと思いました。俺はこういうものを造る、それが良いものだと思う消費者が、10人のうち1人、2人いる。それでもいいじゃないか、と」

     直孝さんにはブレない芯が一本通っている。

    基盤

    「長く杜氏として活躍してきた職人は経験があるだけに悩んでしまう。自分の知識と経験、酒造業界の常識などが染みついているため、こちらの話を聞いて“わかった”と言っても、その枠からはみ出せていないところがあった。それが悪いことではないのだけど、そのときはチャレンジすることが必要でした」

     納得のいく酒を造るために時間をかけて話し合いを重ねた。また、“人任せだけにしていたくなかった”と、自身も酒造りの現場に入った。現在は、長年川村酒造を支えてきた杜氏が引退し、若手の杜氏と一緒に酒造りに取り組んでいる。より具体的に煮詰めた話をしながら作業をしており、自身が現場に入らなくても大丈夫と思えるほどだと話す直孝さん。この先の川村酒造を支えていく基盤は整いつつある。

    現在も使用されている、
    初代が建てた蔵

    「本物の純米酒をきっちりかっちり造っています。出来上がってすぐ飲んでも美味いけど、そこから2~3年でこなれてくる。タフな資質の酒なので熟成させると旨味が増す、長く置いてもおいしく飲めるんです。マイナーで地味な蔵ですけど、ちゃんとしたお酒を造っているんですよ(笑)」

    後編へ続く…

    ※こちらの記事は、石鳥谷図書館にて2023年8月3日(水)~10月29日(日)に展示されたものを、許可を得て転載しています。


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