石鳥谷図書館さんの企画展示の中でもかなり歴史のある『実はすごい!石鳥谷の「匠」展』
毎回、石鳥谷地域で優れた技能を持った「匠」を取材し、関連図書と共にご紹介されています。
今回は、好地在住の畠山 清子(素園(そえん))さんをご紹介します。
畠山さんは、全国的な公募展『日展(日本美術展覧会)』の書道部門(第5科 書)で何度も入賞されています。
花巻市内で日展に応募、唯一人入選を続けている畠山さんの書道にかける思いを中心にお話をうかがいました。
後編、スタートです!
⇒ 前編は こちら から
「書」を学ぶにあたって、継続は力・・・休まず練習すること、要は根気と努力です。また、多書・多見・多聞とあるように、多く書くこと、多く見ること(手本をよく見ること)、多く聞くことにありますと書道の入門書などには書かれてあります。
「師事した奥瀬先生からは『とにかく書くこと!』を言われました。書は社会の縮図である、作品の中でのバランスや粗密感が大切である。厳しい状況の中、やり抜くことの大切さや気持ちのコントロールの仕方、人生訓等まで、お稽古日には時間を忘れて夜遅くまでご指導をいただきました。繰り返し、繰り返し、書き続けることでそこから何かを感じ取り、さらに、同じことの繰り返しの中から気づきが生まれると知ることができました」
淡々と畠山さんはおっしゃっていますが、まさに根気と努力、多書・多見・多聞です。
「作品に取り組んでいる際には、無になる時を求めて精進しています。禅の修行に近いものを感じるようになってきました」
ともおっしゃっています。
「奥瀬先生から、おいしいものを食べに行ったり、美術展を見たり、一流のものに触れることが大切!書は品格が重要だと教えられ、書友とともに様々なことを経験することも人生の楽しみであると学びました」
よい師を選ぶことは、手本以上に大切なことであると、書の入門書にも書かれてありましたが、畠山さんにとって、奥瀬先生は生涯の師なのでしょう。
作品について、漢詩を多く書いていらっしゃいますが、作品を決めるにあたって何かルールがあるのかをうかがいました。
「書くものを決めるとき、漢詩から選んでいます。紙に収まる文字数や見栄えなどを考え、好きな作品に自分の気持ちを込めて書きます。どちらかというと、詩の意味よりも自分の思いを大切にしたいと思っています」
ご自分の書のスタイルを追求して、日々精進していらっしゃる姿が目に浮かぶようです。
日展の記念写真のパネルには、今は亡きお父様と一緒に写ったものが多くあります。
昔から父は、よいものや一流のもの、高価でも本場のものに触れることに迷うことはないと言い、他のことはさることながら、そこへの投資は厭いませんでした。今振り返ると、それが私の成長のもととなったように思います。
また、祖母も、私が筆を執らない日が続くと『もう書道はやめるのか』とたしなめ、私にとって辛いことがあった時には『神様は乗り越えられないこと(試練)は与えない』『あなたはできる』また、逃げたい気持ちを見透かすように、『今、あなたに必要なことだから与えられているのだ』と言い、いつも応援してくれていました。
祖母は日展に入選した頃には入退院の日々で、一度も日展会場に足を運ぶことはありませんでしたが、母はもちろん、父も車イスを必要としながらも、展覧会に足を運ぶことを楽しみにしてくれていました。
その後、お父様は起き上がるのも大変な状況になりながらも、東京の会場に行き、畠山さんの作品だけを目にして満足し、あとは美味しいものを食べて帰ってくるだけだったとのことですが、今はそれがかけがえのない思い出になっていらっしゃるそうです。
「ここまでの創作活動に、家族が応援してくれたことが励みとなっているのだと思います。」
いかにご家族の存在と愛情が、畠山さんの書を支えたのかがよくわかるお話でした。
出品の締め切りまで、繰り返し繰り返し必死に書き続け、それが終わるとやり切ったという充足感で満たされるのですが、これが原動力にもなっています。時には現実逃避となる時間にもなり、苦しいことからも逃れられる、救いとなることもあります。書に没頭するということは、色々な煩わしさを忘れ、楽しい時間となります。
色々なものに触れることで、感ずる心、何かしらの発見、気づきに出会う喜びがあります。新しいことからだけでなく、繰り返しの中からの発見、学びがあることに気づかされました。
2011年の震災後、私は「今の自分に何ができるのか?」「何をすべきか?」「書に取り組んでいる場合ではないのではないか?」と思い悩んでいました。しかし、被害の大きかった沿岸地区で書道教室をされている先生が生徒さんから「いつから教室を始めるのか?」と尋ねられたとのことを聞きました。私は「衣食足りて礼節を知る」と思っており、それが満たされていないのに何故・・・と疑問に思いました。人間はそれだけでは生きられない、「書きたい」と言われたとのことを、そして私の作品を見てくださった方が「畠山さんの作品から元気をもらった」言ってくださるようになり、私が書くことで元気になってくれる人がいるとすれば、この大変な時(震災後)でも、書を続ける意義があるかもしれないと思いました。
アートの力は
“心に傷をもった人には必須のもの” 平田オリザ
アートの力を信じて
“心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する” 高村光太郎
「心の求めているものがアート」なのでしょうか。
これからも毎日の繰り返しの中からの新しい発見を大切にしていきたいと思います。
また、ここまでを振り返ると、書道が色々な人と出会う縁をつくり出してくれたと感じます。つながったご縁を大切にしながら、自分を育ててくれた石鳥谷に何かしら恩返し、またはお役にたてたらと考えています。
次回はどのような作品を書かれるのでしょうか。
畠山さんの更なるご活躍をお祈りし、新たなる作品の誕生を期待したいと思います。
※こちらの記事は、石鳥谷図書館にて2024年8月2日(金)~10月31日(木)に展示されたものを、許可を得て転載しています。